「相続」と「老後」の不安はなぜ尽きないのか
親の高齢化で増える相続・老後の悩み
親が70代、80代と高齢になってくると、家族の会話に「そろそろ相続のことを考えないと」という言葉が出てくることは珍しくありません。
普段は円満な家庭であっても、お金や不動産といった資産が絡むと、家族の関係が微妙に揺らぎはじめます。
特に「相続登記をしていない」「遺言を残していない」「認知症になって判断能力を失った」などの状況が重なると、思っていた以上に手続きが煩雑化し、家族全員に負担がのしかかるのです。
認知症で資産が凍結されるリスク
具体的には、親が認知症を発症した場合、銀行口座が凍結されることがあります。
これは「本人の判断能力が確認できない状態で勝手に預金を引き出されないように」という金融機関の安全策ですが、その間に介護費や医療費が必要になってもお金を引き出せず、生活費に困るご家庭が少なくありません。
成年後見制度を申し立てれば対応可能ですが、家庭裁判所の手続きには数か月かかることもあり、すぐに使えるわけではないのです。
従来制度の限界と家族の葛藤
もちろん、従来から存在する「遺言」や「成年後見制度」は重要な仕組みです。
遺言があれば遺産分割の方向性が明確になり、成年後見を利用すれば判断能力を失った後でも財産管理は可能です。しかし遺言は「亡くなった後」にしか効力を発揮せず、生前の財産管理はできません。
一方、成年後見は裁判所の厳格な監督下で管理されるため、家族が柔軟に財産を使いたいと思っても自由度が低いのが実情です。
たとえば、「母が元気なうちに老人ホームの入居金を払っておきたい」「孫の教育費を支援したい」と考えても、成年後見制度の枠内では難しいことがあります。
つまり、従来の制度だけでは“今とこれから”を包括的に支えることができないのです。
「まだ早い」ではなく「今から」が大切
多くの方は「まだ親も元気だから、考えるのは先でいい」と思いがちです。しかし、相続や老後の問題は“ある日突然”やってくるのが現実です。準備をしていなかったことで、かえって大きな争いや生活の困難に直面する例は少なくありません。
だからこそ、元気なうちに「生前対策」を始めることが大切です。
遺言や成年後見といった既存の制度を押さえつつ、それだけではカバーできない部分を補う新しい仕組みとして「家族信託」が注目を集めています。
次章では、実際に起きがちな相続トラブルの典型例を取り上げながら、その必要性を具体的に見ていきましょう。
相続トラブルの典型例と家族の困惑
遺言がない家庭で起きる兄弟間の争い
相続トラブルで最も多いのが「遺言がなかったために、兄弟姉妹の間で話し合いがまとまらない」というケースです。
例えば、不動産と預貯金がある家庭で、長男は「自分が実家に住み続けたい」と主張し、次男や三女は「公平に分けるために売却して現金化したい」と考えることがあります。
不動産は現金のようにきれいに分けられないため、感情的な対立に発展しやすいのです。結局、遺産分割協議が長引き、家庭内の関係が修復できないほど悪化してしまうこともあります。
認知症で口座が使えなくなる現実
もう一つよくあるのが、親が認知症になったことで銀行口座が凍結されてしまうケースです。金融機関は「本人の意思確認ができない状態での取引はできない」というルールを設けており、家族であっても勝手に引き出すことはできません。
その結果、介護費や医療費を支払うために必要なお金が下ろせず、生活費を立て替えなければならない状況に追い込まれます。
成年後見制度を利用すれば解決できますが、家庭裁判所への申立てから後見人が選任されるまで数か月かかるのが一般的で、その間は資金繰りに苦しむ家庭が多いのです。
成年後見制度の「柔軟性のなさ」
成年後見は確かに有効な制度ですが、万能ではありません。
後見人が就任すると、財産の使い道は家庭裁判所の監督のもとで厳格に管理されます。例えば「母のために古い自宅をバリアフリーに改修したい」と思っても、裁判所の許可がなければ支出できないことがあります。
また「孫の学費を援助してあげたい」といった家族の希望も、本人の直接的な利益と認められなければ却下されることが多いのです。
こうした場面で「制度はあるけれど、家族の思いに寄り添っていない」と感じる人が少なくありません。
後悔の声と新しい仕組みへの期待
実際の相談の中でも、「もっと早く準備をしておけば良かった」という声は非常に多く聞かれます。
遺言がなく相続争いに発展した、成年後見を利用したが柔軟に対応できなかった、そうした体験談を耳にすると、多くの方が「自分の家庭も同じ状況になるのでは」と不安を抱きます。
このように、遺言や成年後見といった従来の制度には一定の役割があるものの、それだけでは十分にカバーできない局面が存在します。
特に「柔軟に資産を管理したい」「家族の希望に沿った使い方をしたい」と考える方にとって、より現実に合った仕組みが求められているのです。
家族信託が注目される理由
その答えの一つが「家族信託」です。
家族信託は、財産を信頼できる家族に託し、契約で定めたルールに従って管理・運用できる仕組みです。これによって、認知症になっても資産が凍結されることなく、生活費や介護費に充てられるようにできます。
また、遺産分割に備えて不動産の承継方法を事前に決めておくことも可能です。
次章では、この家族信託の基本的な仕組みと、遺言・成年後見との違いをわかりやすく解説していきます。
家族信託という新しい選択肢
家族信託とは何か
「家族信託」とは、自分の財産を信頼できる家族に託し、契約で定めたルールに従って管理・運用する仕組みです。
委託者(財産を持つ人)が受託者(財産を管理する人)に財産を預け、受益者(利益を受ける人)のために使っていきます。
これまでの「遺言」や「成年後見」では対応しにくかった、生前からの柔軟な資産管理を可能にするのが大きな特徴です。
遺言と比べたときの違い
遺言は、あくまでも本人が亡くなった後に効力を発揮します。したがって、生前の財産管理や運用には使えません。
一方、家族信託は「契約したその時点から」効力が生じるため、認知症などで判断能力が低下しても、信託契約の内容に沿って財産を管理し続けることができます。
「遺言では生前をカバーできない」という弱点を補えるのです。
成年後見と比べたときの違い
成年後見制度は、本人の判断能力が低下した場合に裁判所の監督のもとで後見人が財産を管理する制度です。
厳格さと公的な安全性は大きなメリットですが、柔軟性に欠けます。例えば「孫の教育費に充てたい」「老朽化した家をリフォームしたい」といった希望は、必ずしも認められるとは限りません。
これに対して家族信託は、契約の段階で「こういう時にはこう使う」というルールを決めておけるため、本人や家族の希望を反映した財産管理が可能です。
家族信託のメリット
- 認知症になっても財産が凍結されない
成年後見を利用する必要がなく、契約に基づき受託者がスムーズに財産を動かせます。 - 生前対策と相続対策を同時に進められる
将来の遺産分割を見据えて不動産や預金の使い方を事前に定めておけます。 - 二次相続まで対応できる
「自分が亡くなった後は配偶者に、さらに配偶者が亡くなったら子へ」というように複数段階での承継先を決められます。 - 柔軟な財産活用が可能
契約内容次第で、教育資金や生活費、医療費など目的を明確にした資金の使い方を設計できます。
注意点やデメリット
もっとも、家族信託にも注意点があります。
まず契約書をしっかり作成しないと、後々トラブルの原因になる恐れがあります。また、受託者に財産を託すため、その人の信頼性や責任感が非常に重要です。
さらに、不動産を信託する場合には登記手続きも必要となり、専門知識を欠いた自己流の手続きは危険です。
つまり「万能の魔法」ではなく、きちんと制度を理解し、適切に利用することが大切です。
新しい相続対策の柱に
遺言や成年後見と並んで、家族信託はこれからの相続・老後対策に欠かせない仕組みになりつつあります。
「うちはそんなに財産が多くないから」と思っていても、不動産を所有していたり、将来の介護費を心配していたりする家庭には有効な選択肢となります。
次章では、より具体的な事例を通じて、家族信託がどのように役立つのかを見ていきましょう。
事例でわかる!家族信託の実用シーン
事例1:認知症の母の生活費を子が管理
80代の母親が認知症を発症し、銀行口座が凍結されてしまった家庭を想像してみましょう。介護施設の費用や医療費が毎月かかるにもかかわらず、子どもたちはお金を自由に使えず、やむを得ず立て替える日々が続きました。
もし事前に家族信託を設定していれば、母が元気なうちに「受託者は長男、財産は母の生活費や介護費に充てる」と契約しておくことができます。
こうすることで認知症になっても凍結されず、必要な資金を安定して使い続けられるのです。成年後見と違い、裁判所の許可を待つ必要もありません。
事例2:不動産の承継をめぐる兄弟の対立回避
父親が所有する実家を相続する際、長男は「住み続けたい」、次男は「公平に分けるために売却して現金にすべき」と意見が分かれるのはよくある話です。
このケースで家族信託を活用すると、父親が元気なうちに「亡くなった後は長男が居住権を持ち、その後売却して子どもたちで分配する」といったルールを契約で定めておけます。これにより、亡くなった後に兄弟が争うリスクを減らせます。
従来の遺言でもある程度の方向性は示せますが、信託なら「生前から管理方法を決めて実行」できるのが大きな違いです。
事例3:障がいのある子の将来支援
親にとって一番の心配は「自分が亡くなった後、障がいのある子が安心して暮らせるか」という問題です。
遺言で財産を残すことは可能ですが、その子が自分で財産を管理するのは困難です。成年後見を使う方法もありますが、柔軟な生活支援までは十分にカバーできません。
ここで家族信託を活用すれば「受託者は兄、障がいのある弟の生活費や医療費に財産を使う」と契約で決めておけます。兄は契約に従って弟を支えられるため、親亡き後も安心した生活を続けられます。
従来制度と家族信託の比較で見える強み
これらの事例を遺言や成年後見と比較すると、家族信託の強みが明確になります。遺言は「亡くなった後」しか効力がなく、成年後見は「柔軟性が低い」という限界がありました。
その中間を埋めるように、家族信託は「生前から柔軟に、かつ将来にわたって継続的に」財産を管理できる点で優れています。
家族の安心をつくる仕組みとして
家族信託を使った事例は、決して特別なお金持ちの家庭だけの話ではありません。むしろ「普通の家庭だからこそ」役立つ仕組みといえます。
親の介護費、不動産の相続、障がいのある子の生活支援──どれも多くのご家庭が直面しうる現実です。事前に備えておくことで、家族全員が安心して未来を迎えられるのです。
次章では、読者の方が「では自分の家庭ではどう準備を始めればいいのか」と考えられるように、具体的な行動のステップを整理してお伝えします。
今からできる3つの準備
準備① 家族で本音を話し合う
相続や老後の問題は「タブーだから」と避けられがちです。しかし、いざという時に備えるためには、まず家族で率直に話し合うことが欠かせません。
親の希望を確認するのはもちろん、子どもたちが「どんなサポートならできるか」を共有することも重要です。特に不動産や預貯金の扱いについては早めに意見交換しておくと、後のトラブル回避につながります。
「まだ元気だから」と先送りせず、家族全員が集まる機会に少しずつ話題に出すのがよいでしょう。
準備② 制度を比較して自分の家庭に合う形を探す
相続や老後の備えには「遺言」「成年後見」「家族信託」といった複数の制度があります。それぞれメリットと限界があるため、どれか一つを選べばよいというものではありません。
たとえば、「相続の方向性を示すには遺言」「認知症への備えには家族信託」「判断能力を失った後の法的な保護には成年後見」といった具合に、組み合わせて利用するのが効果的です。
自分の家庭の状況に合う制度を知り、複数の選択肢を柔軟に取り入れる視点が大切です。
準備③ 専門家に相談して契約内容を整える
家族信託は大変有効ですが、契約内容を誤ると後でトラブルになる可能性があります。
特に不動産を信託する場合は登記が必要で、専門的な知識を欠いた自己流の手続きはリスクが高いです。そのため、行政書士や司法書士といった専門家に相談し、家庭の状況に合わせて契約内容を整えることをおすすめします。
専門家は「どの制度をどう組み合わせればよいか」「税務上の注意点は何か」といった点も含めてアドバイスしてくれるので、安心して準備を進められます。
相続対策は「早めに動く」ことが最大の防御
ここまで見てきたように、遺言や成年後見、家族信託などの制度を上手に活用すれば、相続や老後の不安は大きく軽減できます。
ただし、どの制度も「元気なうちに準備すること」が前提です。認知症が進んでしまってからでは、家族信託も遺言も作成できなくなってしまいます。
だからこそ「まだ早い」と思う今こそが、最も良いタイミングなのです。
家族の未来を守る一歩を踏み出そう
相続や老後の不安は、誰にとっても避けられない課題です。しかし、事前に準備をしておけば、「争族」を回避し、家族の安心を守ることができます。
家族で話し合うことから始め、制度を理解し、専門家に相談する──この3つのステップを踏むことで、未来の安心はぐっと近づきます。
行政書士としての立場からも、準備を始めることこそが最大のトラブル回避策だと強くお伝えしたいと思います。